もうがんばらない
ずっと抱き続けてきた夢。
自分の店をつくること。
いや、掴んだり離したりを繰り返してきた。
情けなくて痛くて、それでも手放せなかった夢だ。
何度目だろうか。
私は今またその夢を手放そうとしている。
疲れたのだ。何もかも。
仕事として店を出すということは、厳しさと隣り合わせで生きていくということだ。
時間と、お金と、理不尽と、闘い続けなくてはいけない。
確かに、その葛藤の中で作り出された緊張感のあるものは美しいだろう。
生ぬるい仕事に、感動はない。
だから私はそこに誠実に挑もうとしてきた。
他人の目にどう映っていたかはわからないが、私は本気の仕事がしたかった。
でも、疲れたのだ。
甘さを指摘された。
これまで何度も言われてきたことだ。
質の高い仕事を志す人たちに。
「甘い。そんなことでは実現できない」と。
そうだ。私はやわで甘っちょろい人間なのだ。
好きなことがしたくて、でもそれを仕事にしていくだけの根性はない。
だっさい人間だ。
でも、思ってしまった。
そんなに頑張らなくちゃいけないの?
ぬるま湯の、何が悪いの?
仕事をすることが、役に立つことが、そんなに偉いの?
自分が何の役にも立たない人間であると思い知らされる時、私は生きることをやめてしまいたくなる。
もっとたくましく生きろ、と言われても、その励ましでもっと苦しくなるだけである。
誰もが、不完全だろう。
不完全で美しいものたちが、生まれ死んでゆく世界。
私がここに生きていること。
それだけでいいはずではないのか。
そうでないなら、なんと残酷な世界だろう。
私が幸せを感じる時。
見知らぬ人の書いた言葉に心震わせる時。
好きな人に、好きだと言ってもらえた時。
おいしい空気をめいっぱい吸い込んだ時。
自然や動物や人間の美しさに触れた時。
私はそういうささやかな幸せを掬い取ることのできる自分でありたいのだ。
それさえできれば、私は生きることを肯定してゆける。
あなたに光を渡すこともできる。
だから。
もう頑張るのはやめることにした。
ヒリヒリするような美しさへの憧れはきっとどこかで捨てきれずに、悔しくてたまらなくなることもあるだろうけど、それでも私は私として生まれ生きていることを喜びたい。
あなたがあなたとして生まれ出会えたことを喜びたい。
これからどうなっていくのか、私にもまだよくわからない。
もっと苦しいことが待ち構えているかもしれない。
でももう私は私を潰したくはないし、あなたに潰れてほしくない。
ぬるく、あたたかく、ただ揺られてぼんやりするような生き方があってもいいと思うから。
そうしたら、もっとみんなが生きやすい世界になると思うから。
そのためのいろいろを、これから作っていきたい。
ただ楽しんで。のんびり、自分のペースで。
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